“coexist” – いちょう団地祭りを訪ねる

“coexist” – いちょう団地祭りを訪ねる

2019.10.05

2015年に企画した“community – いちょう団地を訪ねる”で散策ツアーを行って以来の再訪です。今回は、毎年10月に開催されている「いちよう団地祭り」に参加するツアーを企画。

神奈川県最大の公営団地「神奈川県営いちょう団地」。境川を挟み横浜市側の「いちょう上飯田団地」と大和市側の「いちょう下和田団地」の2つの団地群で構成されています。約3600世帯のうち720世帯が外国人居住者という多国籍団地です。
なぜ外国人住人が増えていったのか、その理由の一つに、日本政府が1979年にヴェトナム戦争後の政変による難民の一部の受け入れ支援施設、「大和定住促進センター」を設立したことがあります。この施設は1998年まで運営され、日本語教育や就職斡旋など、難民の定住に向けた支援がなされました。退所後には多くの人が大和市周辺の県営団地に入居し定住していきました。その後、中国残留孤児やその家族、南米系外国人就労者の定住者が増え、現在では、住民の国籍が30カ国にも及ぶ多国籍コミュニティとなっていきました。
一方で、1950~70年代に日本各地で建設された公営団地は、老朽化、生活スタイルの変化、居住者の高齢化などで空室が増加し、コミュニティの存続自体が困難となっているところも多く、そうした郊外の団地が外国人就労者の定住の受け皿となっており、日本人住民との軋轢や摩擦が生じているという内容の記事も度々メディアで目にします。
今年4月に改正入管法が施行され、外国人就労者の受け入れについての課題や、多文化共生についての議論がなされています。多文化共生していく社会とその実践について私たちなりに考えてみたいと思い、「いちょう団地祭り」と食材店や食堂の様子などチェックをしながら、久しぶりに団地内を歩いてみました。

団地に着くと、すでにお祭りが始まっていて、団地連合自治会のテントと野外ステージが見え、道沿いに屋台やテントの出店がずらりと続いていきます。入口の方は自治会による焼きそばやタコ焼き、おでんや駄菓子など、日本の祭りの定番屋台が多く、奥に進むにつれ、ヴェトナム、カンボジア、タイ、中国、台湾と国際色(アジア色)の濃いラインナップに。よく見ると団地内で食堂やレストランをやっている店が出店しているようで、料理のクオリティや種類が本格的。そして、団地の芝生や駐車場エリアには、ゴザやビニールシートを敷いて車座になって宴会をやっているグループ、ギターやリズムボックス、シンセサイザーを持ち込んで、カンボジアやヴェトナムの楽曲(ポップスや演歌?)を演奏したり、歌ったり、踊ったりしている人達。国籍も関係なく住人同士が、あるいは同国人同士のグループで、飲んで、話して、食べてと自由に楽しんでいました。日が暮れてくると、祭り装束の男たちが神輿を担ぐ準備に入ります。盆踊りもあるようで、そこは見慣れた日本の祭りの風景でもありました。
屋台を堪能した後は、前回行った「大紅串店」や「金福」を目指して団地内を移動。残念ながら中国残留孤児のお母さんの店「大紅串店」は無くなっていました。代わりに、祭りに出店もしていた「bánh mì VIET」というバインミー屋さんになっていました。次に「タンハー」、ここは相変わらず賑わっていました。調味料やハーブなどなど多数購入。最後に、大和市側にある「いちょうショッピングセンター」を訪問。ここには新しく出来たヴェトナム食堂があるのですが、やはり祭りに出店していてお店は休み。残念に思っていると向かいに気になるスペースを発見。小さなコミニュニティスペースのように見えます。なかを覗くと、地元っぽい、おじさん、おばさんが飲んでいます。入口の上には「My Way 団地 ゆき」という看板!勇気を出して入り、雰囲気を壊さぬよう静かにビールを飲んでいると、おじさんたちが声をかけてくれました。やはり団地の居住者の方々で、団地内のお店の情報などを色々教えていただき、しばし歓談。その後、皆さんはこれから祭りに繰り出すようで、カラオケを歌いに行くといいながら楽しそうに出掛けて行きました。
帰路、駅に向か途中も、これから祭りに向かうのであろう人たちとすれ違いました。祭りは夜更けまで続き、ちょっとしたレイブ状態になるようです。盆踊りの音が騒音問題になる昨今の風潮からすると羨ましいかぎり。祭りって昔はどこもそうだったなと妙なところで懐かしさを感じました。

1年でもっとも賑わう「いちょう団地祭り」には、団地を出て他に転居した元住人や、関東近辺に住んでいる外国人が同国の人の集まる機会として訪れるのも多いようです。また、この団地で生まれ育った外国人居住者の第二世代、第三世代にとっては、実家や故郷の祭りに年に一度の帰省をする、そんな場所となっているのかもしれません。

「いちょう団地」が難民や外国人就労者を定住者として受け入れ始めて約40年、多文化共生を試みる共同体としては先駆的な存在だといえるでしょう。自治会の方々のインタヴュー記事などからは、言語や生活習慣の違いから生じる軋轢、衝突など、さまざまな問題や困難に直面しながらも、根気よく向き合い続けきたことが窺われます。
今回「いちよう団地祭り」で私たちが目にしたのは、多様で賑々しく、しかし其々が自分のスタンスでそこに在ることが出来る、そんな寛容さを湛えた光景でした。それは、約40年という年月、実践し続けてきた共生への取り組みがしっかりと実を結び、確実に一つのコミュニティとして根付き始めている証のようにも見えました。
また同時に、国籍や人種は関係なく、文化や価値観の多様性を認め、他者を否定せず、受容し、排除しない・・・共生社会の実現への可能性を感じさせてくれる光景でもありました。